上から、三郎ヶ岳北西上空から宕陰を望む。
愛宕山頂付近、
亀岡市千歳町 元愛宕のある国分付近
愛宕山といえば「火廼要慎」「猪「落語」「千日参り」・・・たくさんのキーワードがある。

京都市内の松尾橋東詰めを少し上流から撮影した。
ここから眺める愛宕山も新緑と相まって非常に美しい。
この水の何割かは愛宕山の北東部に降った雨が、愛宕山をぐるっと回り日吉・亀岡を通り保津峡を経て、ここに至る長い旅をしてきた水である。

愛宕神社より首なし地蔵方面登山道へ降りた所より撮影。
別の地上写真で、広沢の池から撮影したもの、松尾橋上流から撮影したものと比較すると面白いです。


嵯峨野広沢の池に写る、逆さ愛宕。

フライト条件の非常に良い時は愛宕山にかなり接近できるが、やはり千歳のランディング場へ帰投することを考えると不安を抱きながらの撮影である。
地上から見上げる愛宕山からは想像できないが、山頂は意外と平べったい。
前日までに少し降雪があったようだが、日射で南側が解けているのがわかる。

神吉上空から愛宕山方面を見る。
画面左下が神吉下区だ。
越畑の水は西ヶ谷ダムにいったん蓄えられ、また神吉からの水廻り田池に蓄えられて477号線の谷を通り三俣川となり亀岡盆地の田畑を潤す。
このような鳥瞰写真を見ると水の流れがよくわかる。

八木町諸畑付近の上空から愛宕山を望む。
日置から神吉まで約5分、国道477号線と紅葉峠だけだった神吉への道路事情はこのバイパスで一変した。
この位置から見ると神吉や宕陰は亀岡盆地よりかなり標高が高いのがわかる。
まさに天空の高地である。

牛松山上空から水尾を望む。
愛宕山へのルート、明智越や京都にいたる唐櫃越を辿ってほしい。
左下の影の部分に谷山池が見える、

愛宕谷にある谷山池。
牛松山電波等上空で高度を稼ぎ、少し愛宕山よりに飛ぶと見えてくるが、帰りのルートを心配しながらのフライトである。
明治22年に愛宕山周辺で集中豪雨があり、愛宕谷川の上流にある谷山池の堤防が決壊し、保津町に大水害が発生したという歴史がある。
保津町にとっては大事な水源池である。

保津町から愛宕山に登るには、明智越を通っていく道がある。水尾をへて愛宕頂上までいくルートだ。
また車の通れる愛宕谷林道もあるが、常時は閉鎖されている。
保津の大橋を愛宕山に向かって行くと、東詰めに愛宕灯籠がある。まさに保津が愛宕山への入り口といった位置づけということだ。
牛松山には舟運の神様「金比羅さん」その奥には「愛宕山」が控え、たくさんの神様が祀られている。

紅葉の愛宕山。針葉樹と広葉樹のコントラストが面白い。
越畑の河原邸の大銀杏や原神社の大銀杏も色づいているのが見える。

樒原、地元の方は「原」と呼んでいる地には、愛宕山への登山道入り口がある。
かなり急な山道を登ること約1時間で愛宕山頂へつく。

越畑地区を代表する民家で京都市指定文化財である。
当家は近世初頭に武士から帰農して当地へ移り住んだという。領主福寿院の「目付」役であり、幕末には大覚寺の御典医も勤めたらしい。
四季おりおり、愛宕山麓の景色にしっくりと溶け込み、ここだけ特別な時間が流れている。大銀杏は秋には見事な黄葉を見せる。

稲の刈り取りが進む原の鎧田。
この集落は木枯し紋次郎のロケ地であり、美しい棚田の展望がある。
画面右の集落の中に、愛宕山への登山口にあたる鳥居が確認できる。
この鎧田を見るには、西側の万燈山(画面下部送電線のある山)へ登ることで可能だ。


初夏の川東地区。
愛宕山西山麓の雨は、千歳の町を潤す

大堰川の上空から撮影した。三郎ヶ岳ごしに愛宕山を望み、亀岡盆地の東方面を収めている。
5月の芽吹きが三郎ヶ岳をはじめ、山々に新緑の彩をそえる。
画面上部中央が京北で、弓削川、上桂川は亀岡を流れる大堰川の源流となっている。

愛宕山西山麓から流れ出る水を集め、亀岡盆地に流れ出る七谷川。
春には満開の桜並木を愛でにたくさんの人々が集まる名所である。
谷から流れ出た土砂は、千歳町国分、河原林町にわたり扇状地を形成している。

愛宕の本宮・総社・元愛宕とも呼び、山城国鷹峯にここの分霊が祀られ、和気清麻呂の請願で嵯峨山山上に遷したのが、愛宕山の愛宕神社であるとされている。

元愛宕さんと呼ばれ、亀岡市千歳町国分養仙寺の山手にある。
上空からは鎮守の森がうっそうとしているため、見ることができない。
愛宕山頂の愛宕神社の本家であり、ここから分霊が京都鷹ヶ峰へ祀られ、さらに愛宕山頂へと移されたという。

腕利きのパイロットと一緒に、同じ上昇気流の中でセンタリングをしながら高度を獲得していく。ちょうど愛宕山がバックに来るときに撮影した写真を3コマ合成したものである。
山頂の残雪でわかるように、3月とはいえ寒波の後で上空はとても寒い。
それでも飛ぶことがエキサイティングなのでまったく気にならない。

広角の焦点距離で撮影した写真を合成しているので、神吉が強調されたパノラマ写真である。
稲の刈り取りも終盤の風景だ。

とても寒い時期のフライトだったが、神吉まで行くことができた。北西方向から見る愛宕山の眺めもまた格別である。
愛宕山西山麓の越畑の棚田、樒原の鎧田が見事だが、重機のない時代にこの地を拓き田畑を作っていった先人の苦労を偲ぶ。

嵯峨野鳥居本の街道を峠に向かって歩いていくと、一の鳥居が見えてくる。
ここの茶屋で一服した後、第一関門の清滝トンネルをくぐる。
左へ折れると、九十九折の続く六丁峠へ向かう。

試峠(こころみとうげ)から愛宕山を見上げると、これから長丁場の登山に気が引き締まる。
道を降りていくと清滝川だ。

試峠を下り清滝の里へ出る。清滝川にかかる猿渡橋を渡ると登山への気合が入ってくる。

戦前はケーブルもあり、愛宕山スキー場もあったという。

愛宕山の南斜面に降った雨は清滝川となり、保津峡で合流、嵐山に流れ出る。
遠足やハイキングコースとしてポピュラーな場所だ。

愛宕神社への参道。この石段をあがるといよいよ社殿入り口だ。

京都の愛宕山は、大宝年間(701−704)に役の行者と僧泰澄によって開かれたとされる。
和気清麻呂は平安京遷都に際して王城鎮護のため、京の西北(戌亥=乾)にあたる愛宕山に「愛宕神社」を創建した。
祭神に天之迦遇槌命(アマノカグツチノミコト)を祀ることから、特に火伏せ(防火・鎮火)にご利益があるとして全国で広く信仰された。
全国の愛宕神社(愛宕信仰)の890社の総本山である。

一般的には神社の入り口に護りとして「狛犬」が「阿形・吽形」で並べられているが、お稲荷さんは「狐」、ここ愛宕山は「猪」である。
愛宕神社の神使「猪」の由縁は、神社の創建者である和気清麻呂が猪に助けられた故事に因むとされるが、愛宕山は京の戌亥(イヌイ=西北)の方角にあるので、「亥=猪」とされたとか、一帯に猪が多く棲息したからなどの説もある。
写真上部は、本殿の壁にある透かし彫り、下部は鳥居の脚部にあるレリーフである。枠の龍は灯篭の飾り文様から取材した。

京都愛宕神社本殿に掲げられているのは、片倉小十郎影名景長が奉納した絵馬。
・・・・その図像は、緋色の僧衣と袈裟をまとい、地蔵の持物である錫杖を構えた烏天狗(太郎坊天狗)が、愛宕の神の使いとされる疾走するイノシシにまたがっています。
東北の風雲児として名を馳せた伊達政宗は、現在の山形県米沢市に本拠地を構えていたころより愛宕信仰に篤く、その神威で勢力圏を出羽国・陸奥国に拡大し、東北の雄へと成長しました。やがて政宗は、大坂夏の陣への出陣を命じられます。そこで家臣の片倉小十郎重綱(のちの重長)を京都愛宕山白雲寺へ遣わし戦勝祈願をさせました。すると見事に軍功をあげることができた事から、戦勝成就として先の絵馬を奉納しました。その後、絵馬は火災で焼失しましたが、寛文8年(1668)、3代目片倉小十郎景長によって同じ図像の絵馬が再度奉納されました。この絵馬が、現在京都の愛宕神社本殿に掲げられている絵馬です。寛政12年(1800)3月晦日、その絵馬は修復のため京都の藩屋敷に下ろされます。すると同年4月15日、愛宕山で大火災が発生しましたが、この絵馬はその火難を免れたことで「火除けの片倉絵馬」として崇められたといいます。 (京都愛宕研究会HPより抜粋)

宮城県図書館所蔵の、愛宕神社本殿に奉納されている片倉家ゆかりの絵馬の下絵。
(京都愛宕山研究会のパンフレットより複写)

愛宕山は天狗信仰の拠点で,全国各地の天狗の惣領格であるということになっており,太郎坊天狗と呼ばれ毘沙門天の化身とされている。
次郎坊は比良山、また鞍馬山の大天狗は僧正坊と言われ、九郎判官義経に兵法を伝授したとされる。

京北の天童山上空から南方向に愛宕山が見える。
写真左からが大森、余野、画面左が山国である。
京北から見る900m級の愛宕山も堂々としており、こちらから見ても愛宕神社のあるこんもりした山頂の特徴が見て取れる。
このあたりの植生は植林された北山杉や檜などで、広葉樹が少ないのが観察できる。



愛宕山頂付近、
亀岡市千歳町 元愛宕のある国分付近
愛宕山といえば「火廼要慎」「猪「落語」「千日参り」・・・たくさんのキーワードがある。

| 松尾橋上流から愛宕山の眺め | 2013/5/3 |
京都市内の松尾橋東詰めを少し上流から撮影した。
ここから眺める愛宕山も新緑と相まって非常に美しい。
この水の何割かは愛宕山の北東部に降った雨が、愛宕山をぐるっと回り日吉・亀岡を通り保津峡を経て、ここに至る長い旅をしてきた水である。

| 愛宕山登山道より | 2013/5/23 |
愛宕神社より首なし地蔵方面登山道へ降りた所より撮影。
別の地上写真で、広沢の池から撮影したもの、松尾橋上流から撮影したものと比較すると面白いです。


| 広沢の池から愛宕山の眺め | 2013/5/3 |
嵯峨野広沢の池に写る、逆さ愛宕。

| 愛宕山・地蔵山の山頂付近 | 2009/12/22 |
フライト条件の非常に良い時は愛宕山にかなり接近できるが、やはり千歳のランディング場へ帰投することを考えると不安を抱きながらの撮影である。
地上から見上げる愛宕山からは想像できないが、山頂は意外と平べったい。
前日までに少し降雪があったようだが、日射で南側が解けているのがわかる。

| 愛宕山、神吉、亀岡盆地 | 2010/9/6 |
神吉上空から愛宕山方面を見る。
画面左下が神吉下区だ。
越畑の水は西ヶ谷ダムにいったん蓄えられ、また神吉からの水廻り田池に蓄えられて477号線の谷を通り三俣川となり亀岡盆地の田畑を潤す。
このような鳥瞰写真を見ると水の流れがよくわかる。

| 神吉バイパス越しに見る愛宕山の眺め | 2011/3/5 |
八木町諸畑付近の上空から愛宕山を望む。
日置から神吉まで約5分、国道477号線と紅葉峠だけだった神吉への道路事情はこのバイパスで一変した。
この位置から見ると神吉や宕陰は亀岡盆地よりかなり標高が高いのがわかる。
まさに天空の高地である。

| 水尾と愛宕山の眺め | 2011/5/5 |
牛松山上空から水尾を望む。
愛宕山へのルート、明智越や京都にいたる唐櫃越を辿ってほしい。
左下の影の部分に谷山池が見える、

| 愛宕山 水を集めて 谷山池 | 2012/3/14 |
愛宕谷にある谷山池。
牛松山電波等上空で高度を稼ぎ、少し愛宕山よりに飛ぶと見えてくるが、帰りのルートを心配しながらのフライトである。
明治22年に愛宕山周辺で集中豪雨があり、愛宕谷川の上流にある谷山池の堤防が決壊し、保津町に大水害が発生したという歴史がある。
保津町にとっては大事な水源池である。

| 保津町と愛宕山・牛松山 | 2010/4/25 |
保津町から愛宕山に登るには、明智越を通っていく道がある。水尾をへて愛宕頂上までいくルートだ。
また車の通れる愛宕谷林道もあるが、常時は閉鎖されている。
保津の大橋を愛宕山に向かって行くと、東詰めに愛宕灯籠がある。まさに保津が愛宕山への入り口といった位置づけということだ。
牛松山には舟運の神様「金比羅さん」その奥には「愛宕山」が控え、たくさんの神様が祀られている。

| 越畑・樒原と愛宕山の眺め | 2011/11/26 |
紅葉の愛宕山。針葉樹と広葉樹のコントラストが面白い。
越畑の河原邸の大銀杏や原神社の大銀杏も色づいているのが見える。

| 原の鳥居 | 2013/5/6 |
樒原、地元の方は「原」と呼んでいる地には、愛宕山への登山道入り口がある。
かなり急な山道を登ること約1時間で愛宕山頂へつく。

| 河原邸 | 2011/8/26 |
越畑地区を代表する民家で京都市指定文化財である。
当家は近世初頭に武士から帰農して当地へ移り住んだという。領主福寿院の「目付」役であり、幕末には大覚寺の御典医も勤めたらしい。
四季おりおり、愛宕山麓の景色にしっくりと溶け込み、ここだけ特別な時間が流れている。大銀杏は秋には見事な黄葉を見せる。

| 原の鎧田と愛宕山登山口付近 | 2010/9/19 |
稲の刈り取りが進む原の鎧田。
この集落は木枯し紋次郎のロケ地であり、美しい棚田の展望がある。
画面右の集落の中に、愛宕山への登山口にあたる鳥居が確認できる。
この鎧田を見るには、西側の万燈山(画面下部送電線のある山)へ登ることで可能だ。

| 原の鎧田と愛宕山登山口付近 |

| 馬路町上空から愛宕の眺め | 2011/6/28 |
初夏の川東地区。
愛宕山西山麓の雨は、千歳の町を潤す

| 八木町西田上空から愛宕山の眺め | 2011/5/5 |
大堰川の上空から撮影した。三郎ヶ岳ごしに愛宕山を望み、亀岡盆地の東方面を収めている。
5月の芽吹きが三郎ヶ岳をはじめ、山々に新緑の彩をそえる。
画面上部中央が京北で、弓削川、上桂川は亀岡を流れる大堰川の源流となっている。

| 七谷川の桜並木 | 2012/4/12 |
愛宕山西山麓から流れ出る水を集め、亀岡盆地に流れ出る七谷川。
春には満開の桜並木を愛でにたくさんの人々が集まる名所である。
谷から流れ出た土砂は、千歳町国分、河原林町にわたり扇状地を形成している。

| 愛宕神社(元愛宕) |
愛宕の本宮・総社・元愛宕とも呼び、山城国鷹峯にここの分霊が祀られ、和気清麻呂の請願で嵯峨山山上に遷したのが、愛宕山の愛宕神社であるとされている。

| 愛宕神社(元愛宕)縁起 |
元愛宕さんと呼ばれ、亀岡市千歳町国分養仙寺の山手にある。
上空からは鎮守の森がうっそうとしているため、見ることができない。
愛宕山頂の愛宕神社の本家であり、ここから分霊が京都鷹ヶ峰へ祀られ、さらに愛宕山頂へと移されたという。

| 愛宕山を背景にフライト | 2012/3/14 |
腕利きのパイロットと一緒に、同じ上昇気流の中でセンタリングをしながら高度を獲得していく。ちょうど愛宕山がバックに来るときに撮影した写真を3コマ合成したものである。
山頂の残雪でわかるように、3月とはいえ寒波の後で上空はとても寒い。
それでも飛ぶことがエキサイティングなのでまったく気にならない。

| 八木町神吉と愛宕山の眺め | 2011/9/28 |
広角の焦点距離で撮影した写真を合成しているので、神吉が強調されたパノラマ写真である。
稲の刈り取りも終盤の風景だ。

| 神吉から愛宕山の眺め | 2010/2/21 |
とても寒い時期のフライトだったが、神吉まで行くことができた。北西方向から見る愛宕山の眺めもまた格別である。
愛宕山西山麓の越畑の棚田、樒原の鎧田が見事だが、重機のない時代にこの地を拓き田畑を作っていった先人の苦労を偲ぶ。

| 嵯峨鳥居本一之鳥居 |
嵯峨野鳥居本の街道を峠に向かって歩いていくと、一の鳥居が見えてくる。
ここの茶屋で一服した後、第一関門の清滝トンネルをくぐる。
左へ折れると、九十九折の続く六丁峠へ向かう。

| 試峠からの愛宕山の眺め |
試峠(こころみとうげ)から愛宕山を見上げると、これから長丁場の登山に気が引き締まる。
道を降りていくと清滝川だ。

| 清滝渡猿橋 |
試峠を下り清滝の里へ出る。清滝川にかかる猿渡橋を渡ると登山への気合が入ってくる。

| ケーブル清滝駅解説 |
戦前はケーブルもあり、愛宕山スキー場もあったという。

| 清滝渡猿橋から清滝川 |
愛宕山の南斜面に降った雨は清滝川となり、保津峡で合流、嵐山に流れ出る。
遠足やハイキングコースとしてポピュラーな場所だ。

| 愛宕神社参道 |
愛宕神社への参道。この石段をあがるといよいよ社殿入り口だ。

| 愛宕神社本殿 |
京都の愛宕山は、大宝年間(701−704)に役の行者と僧泰澄によって開かれたとされる。
和気清麻呂は平安京遷都に際して王城鎮護のため、京の西北(戌亥=乾)にあたる愛宕山に「愛宕神社」を創建した。
祭神に天之迦遇槌命(アマノカグツチノミコト)を祀ることから、特に火伏せ(防火・鎮火)にご利益があるとして全国で広く信仰された。
全国の愛宕神社(愛宕信仰)の890社の総本山である。

| 阿吽の呼吸 | コラージュ |
一般的には神社の入り口に護りとして「狛犬」が「阿形・吽形」で並べられているが、お稲荷さんは「狐」、ここ愛宕山は「猪」である。
愛宕神社の神使「猪」の由縁は、神社の創建者である和気清麻呂が猪に助けられた故事に因むとされるが、愛宕山は京の戌亥(イヌイ=西北)の方角にあるので、「亥=猪」とされたとか、一帯に猪が多く棲息したからなどの説もある。
写真上部は、本殿の壁にある透かし彫り、下部は鳥居の脚部にあるレリーフである。枠の龍は灯篭の飾り文様から取材した。

|
京都愛宕神社本殿に掲げられているのは、片倉小十郎影名景長が奉納した絵馬。
・・・・その図像は、緋色の僧衣と袈裟をまとい、地蔵の持物である錫杖を構えた烏天狗(太郎坊天狗)が、愛宕の神の使いとされる疾走するイノシシにまたがっています。
東北の風雲児として名を馳せた伊達政宗は、現在の山形県米沢市に本拠地を構えていたころより愛宕信仰に篤く、その神威で勢力圏を出羽国・陸奥国に拡大し、東北の雄へと成長しました。やがて政宗は、大坂夏の陣への出陣を命じられます。そこで家臣の片倉小十郎重綱(のちの重長)を京都愛宕山白雲寺へ遣わし戦勝祈願をさせました。すると見事に軍功をあげることができた事から、戦勝成就として先の絵馬を奉納しました。その後、絵馬は火災で焼失しましたが、寛文8年(1668)、3代目片倉小十郎景長によって同じ図像の絵馬が再度奉納されました。この絵馬が、現在京都の愛宕神社本殿に掲げられている絵馬です。寛政12年(1800)3月晦日、その絵馬は修復のため京都の藩屋敷に下ろされます。すると同年4月15日、愛宕山で大火災が発生しましたが、この絵馬はその火難を免れたことで「火除けの片倉絵馬」として崇められたといいます。 (京都愛宕研究会HPより抜粋)

| 愛宕太郎坊天狗絵馬下絵 |
(京都愛宕山研究会のパンフレットより複写)

| 愛宕太郎坊天狗 | 初代絵馬の下絵から模写 |
愛宕山は天狗信仰の拠点で,全国各地の天狗の惣領格であるということになっており,太郎坊天狗と呼ばれ毘沙門天の化身とされている。
次郎坊は比良山、また鞍馬山の大天狗は僧正坊と言われ、九郎判官義経に兵法を伝授したとされる。

| 京北から愛宕山の眺め | 2010/6/24 |
京北の天童山上空から南方向に愛宕山が見える。
写真左からが大森、余野、画面左が山国である。
京北から見る900m級の愛宕山も堂々としており、こちらから見ても愛宕神社のあるこんもりした山頂の特徴が見て取れる。
このあたりの植生は植林された北山杉や檜などで、広葉樹が少ないのが観察できる。


