



| 罧原堤からの愛宕の眺め |
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京都市内から見る愛宕山の景色だが、実はこの山の西側山麓は京都市内であり、今回の展示対象の嵯峨の水尾、宕蔭があるのだ。
空を飛び越えて、あちら側の京都の奥座敷に探検に行きましょう。
松尾大社から少し上流、桂川左岸から撮影。
季節ごと、お天気の具合で様々な表情を見せる愛宕山、五月の新緑萌える時期の景色である。ちなみに大災害を引き起こした3年前の台風以前の様子であり、現在は河川敷の樹木は撤去されている。

| 罧原堤からの愛宕の眺め | |
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罧原堤からの愛宕山雪景色。
最近は暖冬が続き、なかなかこのような姿にはお目にかかれないが、青い空とあいまって実に美しい姿である。
こういう時は、愛宕山の裏手の水尾や越畑、樒原に思いを寄せてほしい。標高が高い分、かなりの積雪になり、交通もままならぬ状態となる。

| 京都市内から嵯峨、愛宕山へ | |
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良く晴れた秋の空を、東側から見る愛宕山の風景を押さえるべく、嵯峨上空までフライトする。
京都の嵯峨といえば、このあたりを思い浮かべるのだが、実は愛宕山麓を含んで「嵯峨」の地なのである。
それでは愛宕山の西山麓の「嵯峨」へ行ってみましょう。

| 神明峠と宕陰・水尾 |
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画面中央付近が神明峠である。この尾根を分水嶺として天水は水尾と樒原に分かれて旅をする。
愛宕山西斜面に「柚の里・水尾」があり、世帯数34あまりの小さな集落だ。
愛宕山への登山道「明智越え」のルートにあたり、ハイキング客も多い。

| 越畑・地蔵山・芦見谷 |
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北西方向から越畑を眺める。日本の里100選に選ばれている土地である。
地蔵山の尾根筋の左側は芦見谷という谷だが、この谷川の水は、トンネルを通り越畑に導かれている。

| 9月の宕蔭の風景 | |
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9月になり、稲もそろそろ黄色くなりつつある。
水がきれいな宕蔭の米はおいしいと評判である。

| 宕蔭小中学校 | |
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宕陰地域の子供たちが集う学校だ。
上空から見ると校舎の屋根は民家の形をデザインしてあり大変おしゃれだ

| 河原邸 | |
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江戸時代の建築物である河原邸。
越畑に来たら必ず寄ってほしいスポットで、越畑地区を代表する民家で京都市指定文化財である。
当家は近世初頭に武士から帰農して当地へ移り住んだという。領主福寿院の「目付」役であり、幕末には大覚寺の御典医も勤めたらしい。
四季おりおり、愛宕山麓の景色にしっくりと溶け込み、ここだけ特別な時間が流れている。大銀杏は秋には見事な黄葉を見せる。

| 河原邸 | |
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上空から見る河原邸。
門構えからして重厚な作りである。
大銀杏がそろそろ黄色くなりはじめている。

| 蕎麦のまつばら | |
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越畑鍋浦にある「まつばら」
「越畑フレンドパークまつばら」は、平成11年に地域の活性化を目指して地元の有志により設立された交流施設だ。
特産の果樹(りんご・ぶどう)の畑が見える。

| 四所神社と宕蔭出張所 | |
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原の秋の様子。
この銀杏のある神社は「四所神社」である。河原邸の銀杏より早く黄色になる。

| 養護老人ホーム 愛宕ゆうこうの郷 | |
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地蔵山の山麓に位置する養護老人ホーム。
2010年に開設された施設である。

| 八木町神吉から愛宕山の眺め | |
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2月の寒い日の撮影である。
地蔵山、愛宕山にうっすらと残り雪の風情がいい。
太古の愛宕山西山麓を思い浮かべ、複雑な谷筋を埋め立てながら棚田を作っていった途方もない作業を考えると、その苦労はいかばかりのことか。
なぜ、ここにこのような土地を開いたのか・・歴史の重みを感じる。

| 愛宕山への入り口 | |
樒原は、かつて愛宕山参りの休憩所、宿泊所として栄えた歴史がある。
登山口には一の鳥居が建ち、お地蔵さんにお参りしてから愛宕山を目指す。
写真の通り、距離は短いものの険しい登山道である。

| 老の坂あたりから水尾の眺め | |
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画面左側が亀岡市篠町、画面右川が京都市内である。
保津川が蛇行しながら嵐山に向かう様子や、水尾の集落が愛宕山の中腹にあるのが良く分かる。
水尾へはJR保津峡駅から自治会のバスが出ている。

| 保津峡・水尾を覆う霧 | |
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亀岡名物、冬の丹波霧は保津峡入り口から峡谷沿いになだれ込み京都嵐山へ至る。愛宕山西側の水尾の谷にも霧が入り込んでいる様子が分かる。
こういう日は、亀岡盆地からあふれ出た霧が桂坂ニュータウンへなだれ込んでくる様子が沓掛から観察できる

| 水尾の柚子 | |
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水尾の急な斜面に育つ柚子。12月あたりからは出荷が始まるが、その作業は実に大変な作業である。
とくに柚子は名高く、旬の頃には、柚子風呂と鳥料理が楽しめる。現在9戸の民家で受入れている。
水尾は柚子栽培発祥の地ともいわれ、14世紀初頭に在位した花園天皇が水尾の地に柚子を植えたとされている。

| 清和天皇陵 | |
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平安時代前期、文徳天皇の第4皇子であり9歳で即位した清和天皇(850-880)は水尾の地をこよなく愛し、水尾帝とも呼ばれた。
清和天皇は27歳で陽成天皇に譲位した後、30歳の時に仏道修行のために近畿各地を回り、その最後に水尾の山寺に入った。清和天皇は水尾の地を終焉の地と考え、31歳の時に洛東の円覚寺で亡くなった。
遺骨は遺詔(遺言)によって水尾の水尾山寺に葬られ、清和天皇水尾山陵(みずのおやまのみささぎ)は集落から水尾川を渡って対岸にある清和山の中腹に設けられている。清和天皇を祭神とする清和天皇社は水尾の氏神であり、境内には摂社として四所神社が祀られている。
(ウィキペディアより)

| フジバカマとアサギマダラ |
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一番上の写真の蝶には羽に文字が書かれている。これはアサギマダラの渡りを調査するための標識で、ネット上で移動情報が交換されている。
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水尾では、秋の七草の一つであるフジバカマを、原種にこだわり、地域の方々と有志のボランティアの皆さんで大切に育てています。
毎年9月下旬には、地域主催でフジバカマ鑑賞会が行われ、晩秋の「水尾柚子」と並ぶ新たな風物詩として定着しました。
例年、満開のフジバカマにたくさんのアサギマダラ(長距離を移動する渡り蝶)が飛来し、自然豊かな水尾に幻想的な風景が広がります。
(右京区役所HPより)

| 水尾小学校 | |
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2002年から休校中の水尾小学校。開校から130年ほどの歴史を持つ小学校である。

| 愛宕山と水尾 | |
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愛宕山頂から水尾への谷筋には、完成しつつある砂防ダムが見える。平成21年度から着手されている。
防災の観点から見るとこの水尾川ぞいの立地はかなり厳しいことが分かる。
このダムの横手を通りながら愛宕山へ向かう登山道がある。

| 水尾の集落と亀岡 |
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愛宕山の尾根を越えて行くと水尾の集落が見えてくる。
画面上部の山は牛松山、その向うに亀岡の地が広がる。
紅葉の美しい時期の写真である。
このアングルで、明智越えや水尾陵の位置も辿ることができる。

| 水尾の集落 |
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柚子の実も黄色に色づく水尾の里


| 越畑隧道の記録 | |
越畑の宕陰小中学校の山手にある、八坂神社境内に設置されている、記念碑の裏の碑文の拓本である。
古来より水不足に苦しむ地域であったが、地蔵山の向こう側、細野の芦見谷川の水を700年契約で分けてもらうという内容である。
大正10年6月の建立である。

| 越畑隧道 | |
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細野から林道を上っていくと芦見谷の取水口にたどり着く。
静かな谷には川の流れの音と鳥のさえずりのみ。
ぽっかりあいた隧道の取水口からきれいな谷水がトンネルを通って地蔵山の地下を越畑へ向かう。
隧道ができる前は、等高線に沿いながら山をぐるりと回って越畑へ水を導いていたと聞く。
いずれにしてもすごい事業である。

| 桃原池 | |
文政10年からの歴史を持つ灌漑用池。
下流の亀岡市千歳町国分村、江島里村が築造したものである。
空から見ると細長い谷にも田畑がある。
歴史を見ると・・・・
記録によると豊臣秀吉が愛宕山福寿院に対し、原、越畑両村の在所の者の行動に関わる朱印状や桃原、鍋浦の荒れ地の開発をうながしたり、山役などの免除、山林の管理を指示した朱印状などを発給している。・・・と市史にある。

| 廻り池 | |
八木町神吉と越畑の境に位置する細長い池である。
明治11年の企画とある。
国道477号線沿いにある池で、下流の亀岡市旭町の田畑を潤している

| 宕陰を亀岡上空から臨む | |
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亀岡市馬路町上空から遠く愛宕山麓宕陰を臨む。
宕陰への公共交通機関はJR八木駅からバスで行くというルートとなる。
京都市内からは清滝から京都府道50号線、亀岡からは七谷川沿いに上がる道、477号線から上がる道、八木町からは紅葉峠を上がる道がある。


| 11月の宕陰 | |
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随分と色づいてきた愛宕山と宕陰の里

| 雪化粧の越畑・樒原 | |
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すべてが真っ白い宕陰を撮影したいものだが、残念ながらパラグライダーは山から飛ぶもの、登山道が雪でふさがってしまって撮影のタイミング2〜3日遅れてしまう。
今年は暖冬でまだ雪の気配はないのだ。

