

| 三川合流 | 2014/7/26 |
京都府南部、大阪との境付近は、天王山、石清水八幡宮のある男山の間を、木津川、宇治川、桂川が合流し壮観な景色をつくっている。
本展覧会の桂川の物語は、この三川合流を起点に上流へ遡るように展開していく。水路として見ると、桂川から宇治川上流へ、木津川上流へ、淀川を伝って下流へと物資の移送が行われることで、上流の京北、南丹の物資が広範囲に行き渡る壮大な流通網が築かれていたことがわかる。
近代となり水運は廃れたが、現在でも新幹線、名神高速、JRと交通の要衝として繁栄を見せる。
戦国の世、明智光秀と羽柴秀吉の山崎の戦いがあった場所は、インターチェンジのあるたあたりとされている。
画面右下が天王山、山頂には山崎城跡がある。

| 京都盆地を流れる桂川 | 2014/7/26 |
名勝嵐山から流れ出る桂川は京都盆地の西側を南下する。
画面手前の洛西ニュータウンを流れる小畑川は、老の坂を源流とし桂川に合流する。

| 嵯峨嵐山を流れる桂川 | 2014/7/26 |
名勝嵐山を流れる桂川。
現在の嵯峨芸術大学付近は、かつて上流からの筏流しによる貯木池があり、運河を通って市内の材木商に運び込まれたという。
丸太町、千本通りなど木材に関する地名は、実は上流からの産物に由来していることが興味深い。

| 流域図 | 桂川の源流 |
図の水色(京北・花瀬・広河原)と黄色(南丹亀岡地区)の地区の水が名勝嵐山に流れ込んでくる様子を地図上で確認していただけたらと思います。
また、三川合流付近の地形図も興味深いところです。
大阪湾まで続く水の道・・・水の流れが様々な文化・経済を創造してきた様子を、今回の展覧会では桂川から広河原の源流へと辿りながら考えていきます。
ヤフー地図 水系図より編集作成

| 筏流し、渡月橋上流 京都府立総合資料館蔵 | 昭和初期 |
黒川翠山 (1882−1944) 京都市出身 写真家の作品。
昭和初期の嵐山渡月橋上流の筏の係留地を撮影したものである。
上流遙か、京北などの木材産地より切り出された丸太筏を、保津・山本浜で渓流用に組み替え、危険な渓流筏流しの末嵐山にたどり着いた。
川幅も広くなり穏やかな水面に並ぶ筏は、ここより三条通りの運河を使って千本通りあたりの材木商に出荷されていったという。
画面右の岸に「カブトビール」の看板がある。かつて丸三麦酒で1898年(明治31年)から1943年(昭和18年)まで製造されていたビールということだ。最近のアニメ映画「風立ちぬ」の中にもカブトビール店舗のカットがあったのを記憶している。

| 保津川峡谷 | 京都盆地と亀岡盆地 | 2014/10/19 |
老の坂上空あたりからの景色だ。蛇行する保津川が亀岡盆地と京都盆地をつなぐ様がよく分かる。ほぼ、峡谷図の地図とも重なるので参考にしていただきたい。
画面中央上部が愛宕山、そこから手前に伸びる谷沿いに水尾、JR線が谷ひだを突き抜けながらほぼまっすぐに亀岡を目指している。
かつて船で産物を下流まで運んだ後、船頭さん達は船を岸から縄で引きながらこの渓谷を上っていった・・・など現在では想像を絶する重労働であった。

| 保津川峡谷の地名 | 保津町自治会 |
保津町誌の付録にある資料。今回展示の許可を頂いて紹介する。
保津峡のそこここに、それぞれの由緒ある名前が付いているが、船頭さんにとって、それぞれの地名は重要な操船ポイントあるいは観光ポイントであろう。どの瀬のどの岩が隠れると水量が多すぎて危ないなど、昔からの経験から伝えられていると言う。

| 保津峡の絵はがき 亀岡市文化資料館蔵 | 昭和初期 |
文化資料館に保存されている、昭和初期の絵はがき。
左上 乗船場の様子、大きな木のある乗り場は旧商工会議所の建物付近。
左下 保津峡大高瀬のあたり
右上 筏流し 場所不明
右下 宮ノ下の瀬(請田神社前)

| 嵐山奥名所八景 | 角倉素庵、藤原惺窩の詠歌 |
冷泉家の3男である藤原惺窩は、角倉了以の長男である角倉素庵の儒学の先生である。
保津峡には様々な地名があるが、その中で「八景」として8つの場所の景色を選び歌を作った。
長岡文海の「四季の保津川」からの取材。
一部紹介
八、烏船灘(うせんだん)
・波の上(水の面)に はなれてをとぶ 鳥船(とりふね)や 神代をわたる 春の山川
(むかし、藤原惺窩、この所を鳥船灘と号す。鵜河(うこう)の下の急流、練り戸の瀬、風光絶佳、鳥が流れにすべり込むような姿で船が通り抜ける急流)
(四季の保津川、大正十三年九月十五日発行、長岡文海、定価壱円)

| 清滝町 | 愛宕山登山口付近 | 2014/7/26 |
愛宕山の東斜面に降る雨は、この清滝川に流れ込み、「落合の石門」あたりで保津川に合流する。また上流の大森、余野の谷から流れ出る川もここに合流してくる。
画面上がほぼ北となり、右下の道路は試峠からの下り坂、川にかかる橋は渡猿橋である。愛宕山への正面登山道入り口。登山者のマイカーも見える。
かつての愛宕山ケーブルカーの駅があったところである。

| 保津川下りの船 | 鴎谷付近 | 2014/7/26 |
嵯峨野観光線の鉄道沿いの「鴎谷」(カモメ谷)付近の瀬を下る遊船。川幅が少し狭くスリル満点のポイントだ。
別展示の保津川地名の資料を参考に見ていただきたい。

| 保津峡から嵐山 | 2014/7/26 |
保津川下りも終盤、流れもゆったりとし始め、秋には両岸に紅葉の絶景となる。船着場に到着すれば船頭さんもお客さんもほっと一息だろう。
船はトラックに積まれ、今度は9号線の陸路で保津の船着き場に戻っていく。そして船頭さんたちはJRに乗って亀岡駅まで帰還していく。
昔は貯木場付近に大きな宿泊所もあり、そこで休憩した船頭さんたちは陸路元来た道を亀岡まで帰っていったという。

| 保津峡から山本浜へ | 2014/7/26 |
保津川が広々とした遊水地のある山本浜から、いきなり狭い峡谷に入り込む様子が良く分かる。
また水運を発展させるために河床に手を加えた跡が伺える。船下りやラフティングの人々も見える。
トロッコ列車の軌道はかつてのJR線だが、現在のJR線は写真左の山中をトンネルで通過する。

| 篠町山本区 | 2014/7/6 |
大堰川右岸の篠町山本地区。山の斜面に民家が立ち並ぶ、歴史を感じさせる町並みである。
かつての水運が盛んだった頃に、対岸の保津と同様、下流に筏を流すために上流から運ばれた筏を急流用に組み直し、下流に流していく仕事の権利を有していた。
山本と見晴台団地との堺にある「鵜の川」は老の坂から流れ出し、かつてはこのあたりに「古山陰道」が通っていたのではないかと言われている。
かつて保津川下り遊船は山本浜から乗船したが、ルーマニア皇太子やイギリス皇太子などの賓客も興じたことから、山本浜までの道のりは異人道と呼ばれたとある。

| 保津の町 | 2010/5/17 |
ほんの数年前の保津の町。
大堰川対岸の篠町山本地区と並び、保津川の水運に関わった歴史の古い町である。
別の2014年7月の写真と比較すると、保津川遊船の建物や、保津の大橋の西詰めあたり、旧平安高校野球場の横の道路予定地など、様子がずいぶんと変化している。
遊水地としての河川敷は大変広く相当な水量を蓄えられるものの、2013年9月の台風では、保津峡の排水能力を超え、大井町あたりまで水が逆流し大変な被害であった。

| 保津の大橋 | 2014/7/6 |
2014年5月に開通した保津の大橋。長らく城下町への接続が望まれていたがめでたく開通し、川東地区へのアクセス大変便利になり、南郷池から千歳の桜公園まで快適なドライブができるようになった。
また、宇津根の橋から河原林町勝林島へのバイパス道路も完成した。
大堰川の「大曲」や山本浜の様子がよく分かる。

| 保津峡谷入り口の神々 |
請田神社、桑田神社は、保津峡入り口の「大堰川」から「保津川」に名が変わる地に川向かいにそれぞれご鎮座されている。
神代の昔、亀岡盆地は丹の湖であったが、この地の水を抜き豊かな土地に変えたという「丹の湖伝説」、保津峡開削の伝承に関連する神社である。
請田神社のある保津山は、保津山古墳群があり当時の為政者にとって重要な土地であったと推測できる。

| 山本浜の鯉のぼり | 2014/4/27 |
篠町山本の浜では、町作りのイベントとして今年で4回目の鯉のぼりフェスティバルを実施しました。保津川の浜に165匹の鯉のぼりが泳ぐ様は壮観です。
鯉といえば少し上流の大井町では、鯉のぼりを上げない、鯉を食べないという風習があると聞きます。ついでにナマズといえば桑田神社ですね

| 亀岡盆地を流れる大堰川 | 2011/5/18 |
5月の河原林町、大井町付近の大堰川の様子。
画面左手緑の帯の河原林町を囲む川は、七谷川。春になるとその両岸の桜が見事な景観を作ります。あと、30年ほどすると保津の堤防も同じような桜の景勝地ができあがるでしょう。
大堰川を挟んで、川東地区の田の様子と、西側大井町の田の様子の対比が興味深いものがあります。ほんの数年前までは川東地区は条里制のなごりのある田でした。
舟運のルートとは別に陸路の山陰古道を老の坂から辿ってみてください。

| 亀岡盆地を流れる大堰川 | 千代川 | 2010/12/17 |
河原林町の大堰川上空から、北西方向の俯瞰である。
画面右側の山地と平野部の境が断層で、左側の地域が沈降して、平野ができたとされている。
画面左が千代川、月読橋を東に渡って南丹高校にたどり着く。
千代川、矢賀、池尻などかつての古山陰道のあったあたりとされ、丹波国府があったのではないかと言われる地区である。

| 八木の町 | 2014/7/6 |
大堰川のほとりの八木の町。市街の西手の山には大堰川を見下ろす八木城跡が現存している。
八木の八光館下流には虎天堰があり、大堰川から下流の亀岡市の農業用水を引きこんでいる。
盆地東部の山間にある、越畑や神吉の集落から流れてくる三俣川が八木の大橋上流で大堰川に合流してくる。

| 八木を流れる大堰川 | 2014/9/9 |
亀岡盆地の北西方向から東を俯瞰する。
大堰川と園部川が合流するあたりに鳥羽の集落が街道にそって整然と並んでいる。かつての鳥羽宿場の場所の必然性がよく分かる。
大堰川は北東に上り平野部から山岳部に入っていく。

| 大堰川蛇行 | 右亀岡盆地、左日吉ダム方面 | 2014/9/9 |
空から大堰川の大蛇行を捉える。亀岡盆地から園部町船岡を回り、日吉ダムへと180度方向を変える様は圧巻である。
画面右は園部中心部

| 日吉ダム | 2014/9/9 |
ダムによる地域振興を目指し,ダムやダム湖を地域活性化の要中心にすえ、観光地としての価値をダムに持たせた「地域に開かれたダム」として、温泉・プール・体育館を備えた「スプリングひよし」が整備され、キャンプ場や公園等も整備されている。
また、日吉町郷土資料館や京都府民の森等が整備され、天若湖は関西北部屈指の釣りスポットとして有名である。
本来の目的としての治水能力を発揮して大雨・台風時には、しっかりと増水を支え、下流域の被害を最小限に食い止めてきた。
昨年の台風18号時の亀岡駅のホーム冠水、嵐山渡月橋付近の被害も記憶に新しいが、ダムのない時代であればもっと大規模な被害がでたことは歴史を見ればその効果は明らかである。

| 日吉ダム | 2014/9/9 |

| 天若湖と世木ダム | 2014/9/9 |
日吉ダムによって誕生した人造湖は、水没地区の地名を採って「天若湖」(あまわかこ)と名付けられた。
宮村、世木林、沢田、楽河、上世木の集落が水没している。
湯浅文江さんの水没するふるさとに対する歌の一部を紹介する。
「このふるさとに育まれ 楽しく過ぎし幾年月 わがふるさとは永久に 浮かぶことなきダムの底 浮かぶことなきダムの底」・・・・・
画面中央に世木ダムが見える。現役の発電用ダムで山を越えた新庄発電所に水を送っている。
山越しに見える遠景は亀岡盆地。標高の高さも伺えるショットだ。画面右に見える「府民の森」グラウンドからテイクオフさせていだだき撮影した。

| 水没前の上世木付近 | 昭和40年頃? |
日吉ダムの記録誌からの複写である。
ダムの工事が入る前の様子とお聞きしている。

| 宇津峡公園 | 2014/9/9 |
自然の生み出した宇津峡谷の最大のヘアピンカーブがおもしろい。
・・・・・・・・
京都市宇津峡公園は,豊かな緑と上桂川の清流を生かし,大人から子どもまで訪れた方々が野外活動の体験を通じて健康増進や農山村との交流を深め,併せて山村地域の農林業の振興を目的に設置された大型アウトドア施設です。
デイキャンプ・オートキャンプ・魚つかみなど,自然とふれあうさわやかなひとときをお過ごしください。(京都府HPより)

| 京北細野 | 2014/9/9 |
画面右上に京北の弓削、山国のV字谷が見える。
周山で合流した上桂川がしだれ桜と吊り橋で有名な「魚ヶ渕」を横切り、宇津の町に流れていく様子だ。今まで冬期の難所だった栗尾峠も見える。京北トンネルのおかげでずいぶんと交通の便が良くなった。
戦国の時代、このあたりは宇津氏が治めていたが、天正7年、明智光秀に滅ぼされたという。宇津氏を滅ぼした光秀は、上桂川と弓削川が合流する縄野村に周山城を築き、東丹波の統治を行った。
画面右中ほどは関西電力京北開閉所の施設。遙か日本海から大飯原電の送電線が引き込まれている。

| 栗尾峠 | 2014/9/9 |
2013年12月に栗尾峠を抜ける京北トンネルが完成した。
それまでは、冬の難所だったが、あっという間に京北へ抜ける快適な街道となった。栗尾峠はトレッキングや自転車道として整備される予定である。また栗尾峠からの絶景が望めるようになる。
改めて上空から見ると弓削川、上桂川の合流地点となる周山は昔からの要衝の地であり、光秀がこの地に築城した意味も伺える。

| 残雪 常照皇寺 | 京北井戸町 | 2008/3/8 |
京北へ来たなら、常照皇寺は必ず寄っていただきたい名所である。
桜の時期はもちろんだが、冬の雪景色もまた京北らしい一面を見せてくれる。

| 常照皇寺 | 京北井戸町 | 2009/4/9 |
山国の谷をどんつきまで行くと、上桂川は急に東へと進路を変える。谷を南に見る高台に常照皇寺がある。
参道の桜は見頃だが、有名な「御車返しの桜」など境内にある桜はもう少し後が見頃のようである。

| 周山 慈眼寺 | 明智光秀 墨塗の像 | 2015/2/23 |
周山の城山の麓に曹洞宗の慈眼寺がある。本堂の本尊に、聖観世音菩薩が祀られている。晩秋には杉や桧ばかりの京北では特に目立つ紅葉スポットである。
この寺には明智光秀の墨塗木像が安置されていて、案内には
「・・また、この釈迦堂には明智光秀の木坐像と位牌が安置されている。天正3年(1575)織田信長に丹波攻略を命ぜられこの地を訪れた光秀は、四代にわたって悪政を行っていた宇津氏を攻め、戦に及ばすして降伏させ、村民を安堵させた。黒塗りの木坐像と厨子は、善政を施した光秀の徳を慕った村民が逆臣の汚名を避けるため、墨を塗り金具を外して密かに祀ったものといわれる。」とある。

| 京北周山 | 城山 | 2010/5/15 |
周山の町並みを見下ろすように尾根筋に城跡がある。)
麓のウッディ京北で案内の地図を頂いて、登ってみるのも良い。
1579年(天正7年)信長の命により丹波の平定に向かった明智光秀が当地の戦国大名宇津氏を打ち破り、大堰川と弓削川が合流する地域、縄野村に山岳城を築き、中国の周の武王が善政を布いたという故事にならって、地名を縄野から「周山」と改めて以来この地が周山と呼ばれるようになったという。
築城にあたり木材を集るために山国の常照皇寺も含め周辺の社寺を取り壊したとある。
天正1O年までは明智光忠が城主として居城、本能寺の変後明智氏滅亡と共に周山城は廃城となった。

| 山国神社 | 京北鳥居町 上桂川沿い | 2013/6/16 |
10月に行われる「山国さきがけフェスタ」では、維新勤皇山国隊行進・山国神社祭礼・御輿渡御でにぎわう。
御由緒には、
「第50代垣武天皇延暦年中平安遷都(794)に当たり大内裏御造営の木材を山国の郷より徴せられ此の郷を御杣料地として定め大工寮修理職の官人として本殿を御造営せられ祭主として和気清麿呂公が奉仕せられた。 中略
源平の兵乱に破壊されたが第87代四条天皇の天福元年(1233)再建され第96代後醍醐天皇、元弘の乱(1333)に亦々破却されたが足利尊氏の臣細川頼之当地に隠棲する間、本社復興のことを執奏し、幸いにも応永6年(1399)社殿を復旧綸旨を賜る、この時足利義満(1358〜1408)丸に2引の徽章を奉納する、爾来この紋章を当神社の紋章とする。
その後第107代、後陽成天皇の慶長元年(1596)再建され明治6年(1873)郷社に明治33年(1900)府社に列格された、延喜式内の古くからの社である。」とある

| 上中城跡 | 2012/9/12 |
京北トレイルコースのポイント。
弓削の谷にある。史跡好きの方には是非とも訪れていただきたい史跡だ。
レストラン京北や京蕪庵から国道をまたいだ西側にあるが、平たい遺跡なので見落とさないようにしよう。上空から見るとわらじのような形になっていて、城郭をもたない城跡である。

| 京北弓削 | 五本松上空から北を臨む | 2012/9/12 |
国道162号線が中央に走る、京北の弓削の谷には弓削川が流れている。遠くは美山町との境、深見トンネルの峠が分水嶺である。
写真の水平線中央にある山は、福井県小浜市の久須夜ケ岳である。

| 魚ケ渕の桜 | 2011/4/19 |
吊り橋と大きなしだれ桜 京北十景の一つ 上桂川沿いの美しい風景である。

| 天童山上空からの約220度のパノラマ | 左から京都市内、愛宕山、宇津、山国、右は黒田 | 2010/6/24 |
梅雨時の北風、すっきり晴れた透明度の高い日だったが、高度を稼ぐと日本海まで見渡せた。
京都市内から黒田まで見渡す範囲に、桂川の流れをトレースしてほしい。画面左の谷は左から大森の谷、余野の谷だが、天童山の北側に降った雨は遠く日吉廻りで嵐山へ、南側に降った雨は南下して清滝への近道を辿る。

| 六ヶ堰 | 京北大野町 | 2014/9/13 |
京北山国のここより下流の六ヶ村の水利のための堰であることから、六ヶ堰と呼ばれている。
かつて筏流しが行われていた時代は、この堰も筏の一時貯木場として使われていたという。

京
| 右京区・左京区 奥の奥 | 2014/11/16 |
11月も半ば、やっとフライト条件が整った空を、京北辻町の河川敷から飛び立つ。桂川沿いに高度を上げていくと実に美しい左京・右京の紅葉の森が眼下に広がる。
山国の北井戸町、常照皇寺の見事な紅葉を愛でながら通過、黒田上空へ。複雑なヘアピンカーブの渓谷が続く。
区の境を通り過ぎると花瀬中学校が見えてくる。広範囲の学区なので、生徒さんの登下校は大変なことだと思いながら飛ぶ。
何度か行ったことのある交流の森は、公園だけあってさすがに紅葉が美しい。
源流の広河原まで川を遡ると、北を見ればもう若狭の海が見えている。 振り返ると逆光に遠くかすんでにあの特徴のある愛宕山が見える。
この日は最高高度1600mまで上がって撮影をしたが、上空はさすがに寒い。かじかむ手をさすりながら遠くに見える下流の山国のランディング場を目指した。

| 広河原と佐々里峠 | 2014/11/16 |
桂川源流の地区である。
細い谷底の広河原地区の突き当たりから北側の山腹を佐々里峠に向かう道路が見える。峠の向こうは佐々里の集落、この分水嶺から北西側は由良川の源流となっている。
雪深いこの地には以前スキー場もあり、冬期の佐々里峠は全面通行止めとなる。

