


| 1 | 川東 旭町全景 | 夏景色 | 2017/7/22 |
三郎ヶ岳から少し北西へ飛ぶと、旭町全景が見渡せる尾根に出る。
夏は湿気が多く、空気の透明度が低いのだが、この日は比較的澄んだ景色が撮影できた。
7月下旬ともなると、稲の元気な緑が映える。川東旭町の豊かさが分かるショットである。

| 2 | 川東 河原林町 千歳町全景 | 夏景色 | 2016/7/30 |
大井町上空からの川東及び亀山城下町の様子。
7月終わりの頃の稲は、青々と元気に伸びている。
川東の圃場整備、ほんの数年前まで田圃だった大井町並河の新しい町並など、ここ数年を見るだけでも、大きく変わって来た亀岡である。

| 3 | 川東 馬路町 千歳町全景 | 春景色 |
行者山上空から緑萌え始める川東の全景を捉える。
大堰川の西側、現代の山陰道沿いの市街地と、古山陰道の通る川東。それぞれの地区の役割分担がはっきりと分かるショットである。

| 4 | 川東 馬路町 千歳町全景 | 春景色 | 2015/5/2 |
田圃に水が入り稲の苗も少しずつ大きくなり始めた頃。麦は収穫が終わり黄土色のパネルとなる。

| 5 | 川東 千年山麓 | 初夏の景色 |
千年山録の千歳を中心にしたショットだが、遠く京の都から老の坂を越え、山陰道の道筋を辿ってほしい。
古山陰道は、篠町山本を通り川東を通るルート、山陰古道は亀山城を通り、大堰川西岸を通るルート、そしてスーパー山陰道(京都縦貫)は高架道となる。
さて、川東は一般道の整備も進んでいる。保津橋から桜公園までのルートは完成したが、その続きが進行中、また千歳から馬路の三日市交差点経向かう道も整備が進行している。
常々不思議に感じているのだが、千歳の山沿いの土の色と馬路あたりの土の色の違いは、山土と川砂の違いであろうか?

| 6 | 雲海フライト | ブロッケン現象を楽しむ | Assemble |
11月あたりから、亀岡は霧の発生が見られる。
この霧の中をパラグライダーでフライトすることが出来るが、なかなかチャンスは少ないので、貴重な体験をすることになる。
自分の飛んでいる影を雲海に落とすと、そこには影をとりまく虹が見える。これがブロッケン現象である。
見たことのない、とても立体感のある空を飛ぶ経験はいかがですか。
お問い合わせは下記まで!
090-2285-7243?? 090-5065-0167 バーズパラグライダースクール

| 7 | 保津峡になだれ込む霧の流れ | 亀岡名物丹波霧 | 2016/1/5 |
初秋から亀岡では雲海が発生する。よく見ると、川の流れのように、霧が保津峡から京都に向かって流れていく様子がわかる。亀岡盆地でたまっている重たい霧が生き物のようにのたうっている。
写真中央のくびれ部分は保津峡の入り口であり、右が亀岡、左が保津峡、画面中央水平線が老の坂となる。
特にこの日は雲の高さが高く、神代の伝説、「丹の海」の景色を連想させる。
昔々、愛宕山のずっと南にある黒柄山で神様たちが集まり、この湖水を干して国をつくろうと相談したという。
市長は、「亀岡の霧を売り出す!」と元気にアピール。どちらかといえば鬱陶しい条件を逆手にとり、「雲海テラス」や「霧の芸術祭」など具体的に進んでいるようだ。
三郎ヶ岳でパラグライダーでフライトできるが、是非、霧の中を飛ぶ経験をしていただきたい。霧の間を抜けながら立体感のある空を楽しむことができる。

| 8 | 亀岡の古山陰道 | 老の坂から池尻までを辿る | Assemble |
奈良時代の山陰道は「古山陰道」と呼ばれている。その昔、都と山陰諸国を結ぶ大道として、早馬が走った道である。
空撮写真で、要所要所を拡大してみると、なるほどそういえば・・・という想像が涌いてくる。
人が歩く道は、少々高低差はあっても、近道がいいのだ。車ではそうはいかないので、車が走りやすいような所に道が出来る。
現在でも、所々にその遺構が見られるが、残念ながら、これらの古道はまだ整備されておらず、藪の中に埋もれている所も多い。

| 9 | 愛宕道 | 千代川から愛宕山を目指す巡礼道 | 2015/5/2 |
画面手前が千代川、大堰川を渡って馬路町三ツ辻、元馬路を通り、千歳車塚古墳を横目に出雲大神宮を目指す。出雲さんを左に見て北舍の峠を越えると、七谷川の一の橋。ずんずん七谷川沿いに上がっていくと原の集落。えいやっ!と登山道に入って愛宕山の稜線に入る。
この愛宕道は、西からの巡礼者がやってきた道だ。昔の道は少々の迂回はあるものの、できるだけ近道をしようと作られている。

| 10 | 古山陰道 全景 | 老の坂から池尻までを辿る | 2016/4/30 |
奈良時代の山陰道は現在、所々にその遺構が見られ、?いでいくとほぼ老の坂から一直線に池尻まで繋がっていることが分かる。
また、この道はだいたい河岸段丘崖に沿っているので、空撮写真からでも容易に検討がつく。老の坂から鵜の川の河岸段丘崖沿いに進み、保津川を渡る。保津の段丘を登り「へき亭」の西側の道を通り、国分寺を目指す。国分寺を横目に見ながら、段丘崖を池尻に向かって進み、池尻廃寺を回り込みながら北西に向かうというルートである。
残念ながら、これらの古道はまだ整備されておらず、藪の中に埋もれている所も多い。この歴史遺産を観光資源としても大切にしていくことも、亀岡のチカラとなるのではなかろうか。
なお、「山陰古道」と呼ばれる江戸期あたりからの道は不明なところもあるものの、ほぼ、現在の道と重なっている。

| 11 | 丹波国分寺跡 | 金光明四天王護国之寺 | Assemble |
聖武天皇の詔に即して、僧寺と尼寺セットで建設された国営寺院の跡である。
現在国の史跡に指定されており、亀岡市の名木、オハツキイチョウとラッパイチョウがそびえ、春には見事な桜が楽しめる、映画やドラマのロケ地としても有名な所である。
かつての国分寺の偉容は亀岡盆地の中央、七谷川の扇状地面という高い土地に、厳かに建っていたので、遠くから見えるランドマーク的存在だったのだろう。
写真の紹介にあるように、古山陰道の遺構が残されており、道標もある。ぜひとも、このあたりの整備をすすめ、観光資源としてスポットを当てたい所である。
さて、境内にそびえる「オハツキイチョウ」の木は、垂れ下った樹皮が乳状になっている。母親が乳の出ない時にこのお寺に詣り、この銀杏の乳を撫で、その手で更に自分の乳を撫でると、母乳がよく出るようになるという俗信がある。
今年は台風でどこもかしこも甚大な被害を受けたのだが、ここ国分寺でも,境内の木々や本堂などで被害が見られた。早急の対応が必要な所である。

| 12 | 丹波国分尼寺跡 | 法華滅罪之寺 | Assemble |
尼寺跡は、国分寺の西約450メートルにある河原林町河原尻の御上人林廃寺跡(おしょうにんばやしはいじあと)に比定される。
丹波国分寺跡とは古山陰道を挟んで位置し、寺域の南限は僧寺跡と同じ条里線上にある。
史跡整備等はされておらず、現在は銅製の説明板が設置されている

| 13 | 丹波国府の謎 | 国府はどこにあったのか? | 池尻2011/5/18他 |
丹波の国府があったのではとされる亀岡の五カ所を紹介する。
『和名抄』に「国府在桑田郡高低上一日下半日」とあることから、10世紀には桑田郡(現 亀岡市周辺)にあったと考えられている。しかしながら国府の位置は確定できておらず、諸説あるところとなっている。
時代と共に、所在地が移っていったのかもしれないなど、謎はロマンとして想像をかき立てる。

| 14 | 条里制の名残 | ちょっと昔の千歳 | 2004年他 |
ちょうど亀岡にパラグライダーのフライトエリアが整備された頃から圃場整備が開始されたので、フライト中に貴重な資料を残すことができた。
田植えの済んだ田の水に太陽が反射して美しい田園美を強調している。古代の条里制の名残を残しつつ、それぞれの正方形は、旧河川の流れ、等高線、土地の境界線などいくつかの要因により様々な形に区切られている。
こうしてみるとわずか十数年の間に、亀岡の川東地区が大きく変化しているのが分かる。
今となっては,懐かしい高田中学・川東小学校も見える。

| 15 | 古墳 | 古山陰道沿いの古墳 | Assemble |
山陰古道沿いにある,古墳をいくつか紹介する。
見事な前方後円墳は6世紀前半に築造されたという「千歳車塚古墳」である。季節ごとに景色も変わり空から見ていても飽きない。
2月ごろに古墳の草焼きが行われるが、良く乾いた草は、たちまち燃え上がり真っ黒な古墳に変貌する。春の訪れである。
保津には「保津車塚古墳」馬路町池尻には坊主塚古墳、天神塚古墳、旭町には糠塚古墳と削平されずに現存している。
川東をはじめ、亀岡にはたくさんの古墳が存在していたが、形の残っているものは少ない。大切にしていかねばならない遺跡である。
なお、千歳車塚古墳、坊主塚古墳には「黄金の埋蔵伝説」がある。ひょっとして・・・!!

| 16 | 馬路町時塚遺跡 | 発掘中の様子 | 2007/3/4他 |
圃場整備にあたり事前に発掘調査が行われた。わずか数メートルの地下に眠る歴史が明らかにされたのだ。
府道405号線沿いの時塚での発掘調査により、写真のような遺跡が出土した。
遺跡部分の手前丸いものが、時塚3号墳である。下段の9月の写真では、竪穴式住居跡が確認された。

| 17 | 出雲遺跡発掘の様子 | 地下に眠る歴史 | Assemble2013 |
千歳町に新しい道路が作られているが、その工事にあたり発掘調査が行われた。・・・・・・
府埋蔵文化財調査研究センターは11日、京都府亀岡市千歳町の出雲遺跡で、平安時代末期(12世紀後半)に掘られた溝から中国製青白磁の皿などの破片が見つかった、と発表した。青白磁は、白い素地に青みのあるうわぐすりを掛けた中国製の磁器で、平安京の貴族が好んで使ったとされる。丹波地域では初の出土で、同センターは「周辺に有力者の館が存在した可能性がある」としている。
調査は、出雲大神宮から西約200メートルにある約千平方メートルの田んぼで行われた。溝は南北約23メートルにわたって見つかった。幅は3・5メートル、深さは0・4メートルあるが、本来はさらに幅と深さがあり、居住域を区画するために掘られたとみられる。白磁碗や青磁皿も多数出土しており、同センターは「当時この地にあった後白河天皇の荘園や出雲大神宮の社家との関連を調べたい」とする。
溝からは他にも、儀礼や祭事に使われて廃棄されたとみられる土師(はじ)皿や瓦器(がき)碗などが計千点以上もまとまって見つかった。弥生時代後期(2世紀後半)や古墳時代中期(5世紀前半)の竪穴建物跡もあった。
(2013年 京都新聞より)

| 18 | 千歳七福神 | 千年山麓散策 | Assemble |
千歳の山里沿いに「丹波七福神」を祀る寺がある。約7キロにわたり福を求めて巡るのだが、これも先人の考えたシカケである。
養仙寺の高源和尚が布袋様を祀ったことに始まり、大正12年から千歳一帯で七福神を祀り、七福神めぐりを立ち上げたことに始まる。
いにしえの古山陰道沿いに1番札所「神応寺」から7番札所「東光寺」までの約5kmを巡るコース,日本一早回りの七福神めぐりと謳い、ちょっと一日ハイキングが楽しめる。
コース途中には、愛宕神社(元愛宕)、丹波國一之宮出雲大神宮もあり、なかなか充実した一日となる。
福をいただきながら、縁結びや火廼用心など御利益いっぱいの千年山麓である。

| 19 | 出雲大神宮 | 丹波國一之宮 | Assemble |
出雲大神宮は、京都府亀岡市千歳町にある神社。 式内社(名神大社)、丹波国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。別称として「元出雲」や「千年宮」ともいわれている。
空から見ると、千年山(三俣川から七谷川までの間の三郎ヶ岳を主峰とした北西から南東に延びる山並)の山ひだの一つが、御陰山といってご神体である。かつて戦国の世には、御陰山城という山城があり、現在も遺構が残っている。
道沿いの神池から眺めると、御陰山の景色は、四季折々見事な色で楽しませてくれる。
特に秋は、境内の銀杏の木を始め、赤や黄色の紅葉などで、とてもカラフルである。夜はライトアップもあり、真名井の水を求めたり、縁結びの御利益を求めたりと参拝客の絶えない賑やかな神社である。

| 20 | 七谷川の桜並木 | 和らぎの道 | Assemble |
亀岡で桜といえば、七谷川の桜は別格だろう。空から見ても見事な桜の花の道が堪能できる。約1kmにわたって約1500本の桜が咲き乱れる桜並木が続き、丹波地方随一の桜の名所である。
昭和3年の御大典記念に約100本、昭和48年に約100本が植えられたという歴史がある桜の名所だ。
さくら公園には28種約280本の桜が植樹されている。ライトアップもあり夜桜も楽しめるスポットである。
花吹雪の頃は、「千山峡」と呼ばれた七谷川の川面は、薄紅の花びらで覆い尽くされ見事な景色を見せる。
保津大橋の下流にも数年前に桜が植樹され小さいながら花をつける。七谷川の桜は植樹され数十年、保津の堤防もあと数十年するとこんな感じになるかしら。

| 21 | 平の沢池 | 水鳥の道 | Assemble |
馬路町池尻の平ノ沢池の中池は、全国でも珍しいオニバスの自生地で、京都では唯一である。花は9月ごろに葉を突き破って花茎を伸ばし、紫色の花を咲かせる。
種子は、全てが翌年に発芽するとは限らず、数年から数十年休眠してから発芽するらしく、昨年は全く見られなかったが、今年は池面を覆うほどの群生を見ることができた。
ハスは毎年安定した群生状態を見せ、7月〜8月の早朝は、可憐なハスの花を撮影しにたくさんのカメラマンがやってくる。
春には池の周りの桜が見事に咲く。今年は桜吹雪が下池に降り積もり、折からの南西の強風により、中池との連絡口から花びらが吹き出した。偶然上空からこの景色に出会い、強風に捻れる花筏という面白い自然の造型を楽しむことが出来た。
ヌートリアや鴨、サギを始め多様な生物が潜む命あふれる池である。

| 22 | 平の沢池 | 動物たち | Assemble |
晩夏から初冬にかけて、池を観察していると、実に色々な生き物がいることが分かる。
水鳥を始め、鯉や小魚、亀や蛙など生命溢れる場所である。
大日本帝国陸軍向けの毛皮採取を目的として、日本で導入されたヌートリアは野生化し、ここにも棲み着いている。のそのそと出てきては、一生懸命レンコンを食べていた。
池の水が干される11月末は魚たちにとって災難の時期である。水が減って鳥に狙われるのだ。そして、あれだけ水面を占領していたオニバスは腐って栄養源となる。
この池の歴史は古く、ェ平三年(平安時代 891年)にこの地の豪族が沼澤であったものを治水して灌漑用に整備したものであると伝えられている。

| 23 | 愛宕神社 | 千歳の元愛宕 |
愛宕の本宮・総社・元愛宕とも呼び、山城国鷹峯にここの分霊が祀られ、和気清麻呂の請願で嵯峨山山上に遷したのが、愛宕山の愛宕神社であるとされている。
本殿は鎌倉時代後期の1280年頃の造営で、国の重要文化財に指定されている。
名木に指定されているイヌマキ、大スギ、モミ、いずれも大樹である。また、境内の森は「ムササビの生息する森」として亀岡の自然100選に選ばれている。

| 24 | 旭町の文化財 | Assemble |
旭町宮の元 梅田神社 709年の創建と伝えられる。
旭町経塚 天照皇太神社 808年の建造と伝えられる。
旭町今峠 松尾神社 秦河勝が聖徳太子の命を受けて
創建したと伝わる。
旭町印地 糠塚古墳 3〜4世紀の築造か。
旭町一ツ橋 天神塚古墳 5世紀後半築造か。
呉弥山には円墳27基からなる群集墳、池尻古墳群がある。

| 25 | 河原林町の景観 | 石垣と生垣 | Assemble |
河原林町河原尻は、七谷川の扇状地にある。かつて川が氾濫して、集落が大きな被害を受けた。この対策として、家の周りに石垣と生垣をしつらえ、水害対策としてきたことが、一つの景観となっている。
文化財の遠山家は、大庄屋の大型農家で、普請帳により寛政元年から同二年にかけて建てられたことが分かっている。
空から見ても、家の周りに生垣がしつらえてあることが良く分かる。
周囲より2〜30センチ程高い自然堤防上に立地する、河原林町勝林島の集落も、大堰川の水害に備え土盛りと石垣で敷地の周りを高くしてある。

| 26 | 昭和24年の亀岡 | 米軍撮影資料 | 1949/3/11 |
戦後の米軍資料として撮影された写真である。
川東の山々は、木材が伐採されはげた様子が分かる。昔は柴が燃料として重要であったので、山に人が入っているということが見える。
道路も、街道筋が良く分かる。古山陰道や山陰古道も非常に分かりやすくトレースできる。
亀岡市街地は南郷の堀以北は駅まで田圃で、商店街が街道筋にあるだけだ。年谷川の堤の植え込みは千本松「野橋立」であろうか。

| 近世の社寺と街道 | 新修亀岡市史本文編第二巻 付図1 |
亀岡の史跡や街道を辿ってみる。なかなか行けていない、知らない所もたくさんある。
この地図で、次のターゲットを決めて、ちょっと亀岡探検に出かけてみませんか。歴史、地理、文化を知ると、とても愛着がでてきます。
ふるさと かめおか・・・・・

